尾道の寺2
2009年 02月 04日
尾道駅で電車を下りたら、線路沿いに左(尾道大橋や商店街方面)へ歩き
3つ目の踏切を渡り谷沿いに少し上ると道は左右に分かれます。
これを右に上ると「一宮(いっきゅう)神社」の裏手に出ますが、
今回目指す「光明寺」は、左側の道を上ります。
すると、すぐに「光明寺」の山門と本堂の間の境内に出ます。
この寺の本堂は常に堅く閉ざされていて、約17年暮らしていた自分でも
一度も本堂の中を見た事はありません。
本堂左手に、第12代横綱・陣幕久五郎の墓があります。
現役時代に横綱としての実績は殆ど無かった故人ですが、
相撲界に与えた功績はすごく大きく、
今の横綱審議委員会の権威を確立させたと言っても過言ではありません。
故人は、引退後全国を周り、相撲に関る記念碑建立に努めると共に
まだ創設されて間も無く知名度が低かった「横綱」という地位について
宣伝・周知・広報活動を行い、揺ぎ無い地位として日本全土に認められる
礎を築いた人物なのです。
島根県出身で、若い頃尾道へ出てきて荷役作業で身体を鍛えたと言われ
没後はこの「光明寺」に墓が立てられたとのことです。
本堂の右奥の道を少し上り、道なりに「し」の時を逆に曲がる形で下ると
冒頭で書いた「一宮(いっきゅう)神社」の裏手に出ます。
3つ目の踏切を渡り谷沿いに少し上ると道は左右に分かれます。
これを右に上ると「一宮(いっきゅう)神社」の裏手に出ますが、
今回目指す「光明寺」は、左側の道を上ります。
すると、すぐに「光明寺」の山門と本堂の間の境内に出ます。
この寺の本堂は常に堅く閉ざされていて、約17年暮らしていた自分でも
一度も本堂の中を見た事はありません。
本堂左手に、第12代横綱・陣幕久五郎の墓があります。
現役時代に横綱としての実績は殆ど無かった故人ですが、
相撲界に与えた功績はすごく大きく、
今の横綱審議委員会の権威を確立させたと言っても過言ではありません。
故人は、引退後全国を周り、相撲に関る記念碑建立に努めると共に
まだ創設されて間も無く知名度が低かった「横綱」という地位について
宣伝・周知・広報活動を行い、揺ぎ無い地位として日本全土に認められる
礎を築いた人物なのです。
島根県出身で、若い頃尾道へ出てきて荷役作業で身体を鍛えたと言われ
没後はこの「光明寺」に墓が立てられたとのことです。
本堂の右奥の道を少し上り、道なりに「し」の時を逆に曲がる形で下ると
冒頭で書いた「一宮(いっきゅう)神社」の裏手に出ます。
by cadoya21
| 2009-02-04 23:52
| 尾道ガイド