第18回詰備会へ参加してきました
2012年 05月 14日
まず最初に、関連ページのリンクを。
詰備会HP
詰将棋劇場・詰備会(世話役・平井康雄氏のブログ)
Ma vie quotidienne・詰備会に行く(齋藤夏雄氏のブログ)
香龍会・詰備会に行ってきました(岩本修氏のブログ)
81puzzler・詰備会(宮原航氏のブログ)
この詰備会という詰将棋会合は、9年前に僕が立ち上げ世話役を務め、
現在は詰将棋作家の平井康雄氏と学生王将・アマ準名人の赤畠卓氏が
世話役を務めておられます。
その会合へ昨日は、2~3年振りに参加してきました。
事前準備として、創棋会の新鋭・宮原航さんと同行する約束し、
地元の高校生・指将棋強豪の野崎捷斗さん・小椋章史さんを誘い参加の約束を取り付け
地元岡山在住で伝説の巨匠・片山倫生さんへお誘いの葉書を出しました。
数日前、facebookのチャットにて宮原さんへ
「大阪駅9:00発の新快速に尼崎から乗る」と伝えておいたのですが、
当日、尼崎駅で乗換えて陸橋を渡っている最中(9:02)に携帯電話が鳴りました。
宮原さんから「どちらに乗っておられますか?」と。
「尼崎から乗るから、まだ新快速には乗ってないよ」と応えたような気がします。
結局、尼崎駅を出た直後に会えました。
もう青春18キップの季節でも、GWでも無いので電車は空いてました。
車中、雑談をしているだけで、あっという間に時間は過ぎ、2度の乗換えはありましたが
すんなり岡山へ着いたように思います。
昼メシを済ませ、岡山市民会館の3階へ着くとエレベータホールのベンチに
赤畠さんが「まだ鍵が開いてない」と待っておられ、早速雑談です。
ほどなく大阪・吹田から則内さんも到着され雑談に加わりました。
12:50頃、職員の方が来られ開錠されて、会議室へ入室です。
その後15分くらいの間に、片山さん・平井さん・赤畠さん・野崎さん・小椋さん(以上岡山)、
来嶋さん・竹村さん(以上高知)、松重さん(山口)、宮原さん(京都)、岩本さん(奈良)、
則内さん・冨永(以上大阪)、の計12名が集まりました。
常連の須川さん(愛媛・詰四会世話役)、利波さん(東京・玉の会世話役)、中村さん(兵庫)の
3名が不参加ということで、参加者数を危惧されていたそうですが、嬉しい悲鳴です。
特筆すべきは岩本さんで、前日、長野県松本での詰アルプスへ参加され、
連日の地方会合巡りです
その行動力や、まさに脱帽です。
赤畠さんが高校生3名(野崎さん・小椋さん、宮原さん)へ解図の練習問題を出題。
岩本さん、竹村さん、来嶋さん、則内さんは、宮原さんや
14時半頃に来られた齋藤さん(広島)の新作の解図・検討をされてました。
高校選手権・府代表を狙うという宮原さんと
昨年15歳にて支部名人戦岡山県代表という野崎さんの指将棋対局が始まりました。
僕の目には、終盤の入口で野崎さん優位と思ったのですが・・・・・
詰将棋作家・宮原さんの終盤力が勝ったようです、これには驚かされました。
前回の作品展で、作品数が3作しか集まらづ詰パラ誌編集部から小言を頂いたようですが
今回は6名から8~9作も投稿作が集まり、次回まで心配なさそうな様子です。
平井さんは、この作品群のチェックをPCでされてました。
しかし、来年は詰備会も10周年を迎えます。
そこで大々的に作品展を行うとなると絶対に欠かせないのが、片山さんの復活です。
ということで、松重さん、片山さん、冨永は時々解図をしながらも雑談でした。
いや、冨永は片山さんを復活させる為に、説得工作をしてました。
片山さんは、今までに3手詰を1000作品以上作ったそうです。
ですが、柿木将棋(PCソフト)の出現で、自作が瞬時に解かれてしまうわ、
嫌な事も色々あるわで、詰将棋から離れてしまったそうです。
もう2年位、封を開けてない詰パラ誌もあるそうです。
しかし今年の年賀状にて
「以前よりは詰パラを熟読するようになってきたので、多少は詰棋観が戻ってきました。」
とありましたので、今回の詰備会参加は復活への足掛かりにしなければいけない
という使命感から冨永は自作出題を1作しかせず、片山さんとの雑談に終始しました。
2次会へ移動する道で、冨永は赤畠さんと雑談させて頂きました。
2次会の参加者は、個室入口から見て奥側左から、竹村さん、冨永、岩本さん、来嶋さん、
手前側が平井さん、片山さん、宮原さん、齋藤さん、赤畠さんでした。
つまり宮原さんの両隣は、短編界の巨匠と言われる看寿賞作家が占めるという
新人作家にとって絶好のポジションでした。
※左が宮原さん
※右が片山さん
雑談中、平井さんが近藤真一氏の消息について振って来て「再入院中?」と言われるので、
冨永は無言のまま厳しい顔で首を横に振ると、
岩本さんが隣で名古屋の地元情報による裏付けをしてくれました。
まぁ正確な情報が無いのですが、名大将棋部OB会の情報や
詰パラ誌を自宅へ送付しても宛先不明で返ってきている状況を考えても
最悪の状況と考えるのが妥当な線だと思われます。
今となっては、数年前に痩せ細った近藤さんが各会合へ顔を出されたのが、
医者が匙を投げ、今生の別れをする為に一時退院させたのでは?と
冨永が勘繰る次第です、本当に残念な話ですが。
帰りの電車、岡山駅から普通電車に乗りましたが、宮原さんは芦屋駅まで、
瀬戸駅まで片山さんもご一緒されました。
片山さんが「一度、中村さんと会って話をしてみたい」と仰るので、
「中村さんは7月から米国転勤を控え、会うなら6月の創棋会が・・・」
と伝えると、片山さんの顔が一瞬曇りました。
冨永は片山さんへ「年内復活」を猛アピールし、
宮原さんは片山さんへ「 」を猛アピールです。(まだ伏せておきます)
瀬戸駅での別れ際、片山さんが宮原さんの手を両手で握り締めてました。
この様な片山さんの姿を拝見するのは初めてで、驚かされました。
その後宮原さんとは、三百人一局集に掲載されている詰将棋作家について
色々なエピソードを話しているうちに芦屋駅に着き、お別れしました。
脱線しますが、今回会合が行われたのは岡山市民会館302号会議室です。
詰備会では第1回から使用し、半数以上の例会でこの会議室を使用しています。
今回、隣の301号会議室は「18時~ 数楽研究会」の貼り紙がありました。
おそらくmazra氏の会合と思われます(HP)が、
数楽の第一人者であり3年程前に亡くなられた詰将棋作家の故・日野秀男氏との関係は?
というのが気になりました。
最後に、次回詰備会開催予定は、創棋会HP・詰備会のページ をご覧ください。
また創棋会会員紹介のページも一部加筆・修正を施しました。
詰備会HP
詰将棋劇場・詰備会(世話役・平井康雄氏のブログ)
Ma vie quotidienne・詰備会に行く(齋藤夏雄氏のブログ)
香龍会・詰備会に行ってきました(岩本修氏のブログ)
81puzzler・詰備会(宮原航氏のブログ)
この詰備会という詰将棋会合は、9年前に僕が立ち上げ世話役を務め、
現在は詰将棋作家の平井康雄氏と学生王将・アマ準名人の赤畠卓氏が
世話役を務めておられます。
その会合へ昨日は、2~3年振りに参加してきました。
事前準備として、創棋会の新鋭・宮原航さんと同行する約束し、
地元の高校生・指将棋強豪の野崎捷斗さん・小椋章史さんを誘い参加の約束を取り付け
地元岡山在住で伝説の巨匠・片山倫生さんへお誘いの葉書を出しました。
数日前、facebookのチャットにて宮原さんへ
「大阪駅9:00発の新快速に尼崎から乗る」と伝えておいたのですが、
当日、尼崎駅で乗換えて陸橋を渡っている最中(9:02)に携帯電話が鳴りました。
宮原さんから「どちらに乗っておられますか?」と。
「尼崎から乗るから、まだ新快速には乗ってないよ」と応えたような気がします。
結局、尼崎駅を出た直後に会えました。
もう青春18キップの季節でも、GWでも無いので電車は空いてました。
車中、雑談をしているだけで、あっという間に時間は過ぎ、2度の乗換えはありましたが
すんなり岡山へ着いたように思います。
昼メシを済ませ、岡山市民会館の3階へ着くとエレベータホールのベンチに
赤畠さんが「まだ鍵が開いてない」と待っておられ、早速雑談です。
ほどなく大阪・吹田から則内さんも到着され雑談に加わりました。
12:50頃、職員の方が来られ開錠されて、会議室へ入室です。
その後15分くらいの間に、片山さん・平井さん・赤畠さん・野崎さん・小椋さん(以上岡山)、
来嶋さん・竹村さん(以上高知)、松重さん(山口)、宮原さん(京都)、岩本さん(奈良)、
則内さん・冨永(以上大阪)、の計12名が集まりました。
常連の須川さん(愛媛・詰四会世話役)、利波さん(東京・玉の会世話役)、中村さん(兵庫)の
3名が不参加ということで、参加者数を危惧されていたそうですが、嬉しい悲鳴です。
特筆すべきは岩本さんで、前日、長野県松本での詰アルプスへ参加され、
連日の地方会合巡りです
その行動力や、まさに脱帽です。
赤畠さんが高校生3名(野崎さん・小椋さん、宮原さん)へ解図の練習問題を出題。
岩本さん、竹村さん、来嶋さん、則内さんは、宮原さんや
14時半頃に来られた齋藤さん(広島)の新作の解図・検討をされてました。
高校選手権・府代表を狙うという宮原さんと
昨年15歳にて支部名人戦岡山県代表という野崎さんの指将棋対局が始まりました。
僕の目には、終盤の入口で野崎さん優位と思ったのですが・・・・・
詰将棋作家・宮原さんの終盤力が勝ったようです、これには驚かされました。
前回の作品展で、作品数が3作しか集まらづ詰パラ誌編集部から小言を頂いたようですが
今回は6名から8~9作も投稿作が集まり、次回まで心配なさそうな様子です。
平井さんは、この作品群のチェックをPCでされてました。
しかし、来年は詰備会も10周年を迎えます。
そこで大々的に作品展を行うとなると絶対に欠かせないのが、片山さんの復活です。
ということで、松重さん、片山さん、冨永は時々解図をしながらも雑談でした。
いや、冨永は片山さんを復活させる為に、説得工作をしてました。
片山さんは、今までに3手詰を1000作品以上作ったそうです。
ですが、柿木将棋(PCソフト)の出現で、自作が瞬時に解かれてしまうわ、
嫌な事も色々あるわで、詰将棋から離れてしまったそうです。
もう2年位、封を開けてない詰パラ誌もあるそうです。
しかし今年の年賀状にて
「以前よりは詰パラを熟読するようになってきたので、多少は詰棋観が戻ってきました。」
とありましたので、今回の詰備会参加は復活への足掛かりにしなければいけない
という使命感から冨永は自作出題を1作しかせず、片山さんとの雑談に終始しました。
2次会へ移動する道で、冨永は赤畠さんと雑談させて頂きました。
2次会の参加者は、個室入口から見て奥側左から、竹村さん、冨永、岩本さん、来嶋さん、
手前側が平井さん、片山さん、宮原さん、齋藤さん、赤畠さんでした。
つまり宮原さんの両隣は、短編界の巨匠と言われる看寿賞作家が占めるという
新人作家にとって絶好のポジションでした。
※左が宮原さん
※右が片山さん
雑談中、平井さんが近藤真一氏の消息について振って来て「再入院中?」と言われるので、
冨永は無言のまま厳しい顔で首を横に振ると、
岩本さんが隣で名古屋の地元情報による裏付けをしてくれました。
まぁ正確な情報が無いのですが、名大将棋部OB会の情報や
詰パラ誌を自宅へ送付しても宛先不明で返ってきている状況を考えても
最悪の状況と考えるのが妥当な線だと思われます。
今となっては、数年前に痩せ細った近藤さんが各会合へ顔を出されたのが、
医者が匙を投げ、今生の別れをする為に一時退院させたのでは?と
冨永が勘繰る次第です、本当に残念な話ですが。
帰りの電車、岡山駅から普通電車に乗りましたが、宮原さんは芦屋駅まで、
瀬戸駅まで片山さんもご一緒されました。
片山さんが「一度、中村さんと会って話をしてみたい」と仰るので、
「中村さんは7月から米国転勤を控え、会うなら6月の創棋会が・・・」
と伝えると、片山さんの顔が一瞬曇りました。
冨永は片山さんへ「年内復活」を猛アピールし、
宮原さんは片山さんへ「 」を猛アピールです。(まだ伏せておきます)
瀬戸駅での別れ際、片山さんが宮原さんの手を両手で握り締めてました。
この様な片山さんの姿を拝見するのは初めてで、驚かされました。
その後宮原さんとは、三百人一局集に掲載されている詰将棋作家について
色々なエピソードを話しているうちに芦屋駅に着き、お別れしました。
脱線しますが、今回会合が行われたのは岡山市民会館302号会議室です。
詰備会では第1回から使用し、半数以上の例会でこの会議室を使用しています。
今回、隣の301号会議室は「18時~ 数楽研究会」の貼り紙がありました。
おそらくmazra氏の会合と思われます(HP)が、
数楽の第一人者であり3年程前に亡くなられた詰将棋作家の故・日野秀男氏との関係は?
というのが気になりました。
最後に、次回詰備会開催予定は、創棋会HP・詰備会のページ をご覧ください。
また創棋会会員紹介のページも一部加筆・修正を施しました。
by cadoya21
| 2012-05-14 14:54
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