尾道の旧跡2
2009年 02月 04日
尾道駅で電車を下りたら、線路沿いに左(尾道大橋や商店街方面)へ歩き
6つ目の踏切を渡り正面の石段を少し上ったすぐ脇の門に「大林」という
表札が見えますが、こちらが観光客の間で密かに噂を呼んでいる
映画監督・大林宣彦さんの生家の玄関・・・・・
と言いたい所ですが、この門は庭に面した来客用の玄関へ通づる入口で、
特別な時(正月の御年始)にしか入った事がありません。
本宅の玄関は別の場所にあるのですが、
そちらも数回しかお伺いした記憶はありません。
こちらのお宅も私の生家の茶園(という離れ)の隣なのですが、
下手に行くと、大林宣彦さんのお母様から小遣いを頂いてしまうので、
自然と足が遠退いてしまってました。
小遣いを頂いた理由はもう一つあって、大林宣彦さんの娘さんと僕が
同い年だったらしく、滅多に会えない東京にいる孫の代わりのように
可愛がって頂いたようですが、それが僕にとっては重荷でした。
ちなみに僕なんかは、
大林家を大林監督ではなく大林先生と呼ぶ最後の世代なのでしょうか。
これは大林宣彦さんのお父様が、近くの病院の先生だったからです。
おそらく、尾道の地元で大林宣彦さんに好感を持っている方は、
ごく少数なのか、それとも若い時の話を知らない方々なのでしょう。
だから、幻の資料館とか、映画資料館に何も無いという結果に
なってしまうのでしょうね、仕方ない事かもしれませんが。
そういえば、尾道を離れて約四半世紀、
大林先生のお宅の前を通る「千光寺道」を最後に通ってから、
10年以上経ってますね。
下の交差点は、幼い時に家族が交通事故で亡くなった場所ですし、
僕が言語障害児という理由で入園を拒否した幼稚園がすぐ上に
あるので、余計に「千光寺道」から遠ざかってしまうのでしょう。
今度、尾道へ行ったら「千光寺道」を駆け上ってみようかな。
※公立の幼稚園・小~中学校は、別に養護学校があっても入学を許可したのに、
私立の幼稚園が入園を拒否したのは、未だに謎です。
まぁ閉園した幼稚園の昔話を掘り起こしても、仕方ないのですが。
6つ目の踏切を渡り正面の石段を少し上ったすぐ脇の門に「大林」という
表札が見えますが、こちらが観光客の間で密かに噂を呼んでいる
映画監督・大林宣彦さんの生家の玄関・・・・・
と言いたい所ですが、この門は庭に面した来客用の玄関へ通づる入口で、
特別な時(正月の御年始)にしか入った事がありません。
本宅の玄関は別の場所にあるのですが、
そちらも数回しかお伺いした記憶はありません。
こちらのお宅も私の生家の茶園(という離れ)の隣なのですが、
下手に行くと、大林宣彦さんのお母様から小遣いを頂いてしまうので、
自然と足が遠退いてしまってました。
小遣いを頂いた理由はもう一つあって、大林宣彦さんの娘さんと僕が
同い年だったらしく、滅多に会えない東京にいる孫の代わりのように
可愛がって頂いたようですが、それが僕にとっては重荷でした。
ちなみに僕なんかは、
大林家を大林監督ではなく大林先生と呼ぶ最後の世代なのでしょうか。
これは大林宣彦さんのお父様が、近くの病院の先生だったからです。
おそらく、尾道の地元で大林宣彦さんに好感を持っている方は、
ごく少数なのか、それとも若い時の話を知らない方々なのでしょう。
だから、幻の資料館とか、映画資料館に何も無いという結果に
なってしまうのでしょうね、仕方ない事かもしれませんが。
そういえば、尾道を離れて約四半世紀、
大林先生のお宅の前を通る「千光寺道」を最後に通ってから、
10年以上経ってますね。
下の交差点は、幼い時に家族が交通事故で亡くなった場所ですし、
僕が言語障害児という理由で入園を拒否した幼稚園がすぐ上に
あるので、余計に「千光寺道」から遠ざかってしまうのでしょう。
今度、尾道へ行ったら「千光寺道」を駆け上ってみようかな。
※公立の幼稚園・小~中学校は、別に養護学校があっても入学を許可したのに、
私立の幼稚園が入園を拒否したのは、未だに謎です。
まぁ閉園した幼稚園の昔話を掘り起こしても、仕方ないのですが。
by cadoya21
| 2009-02-04 23:56
| 尾道ガイド